胎内被爆者の70年を振り返って思うこと

 胎内被爆者70年に向けて思うこと 。被爆70年を振り返って敗戦国家の中で母親と共に被爆した小さな命が、今日まで何とか生き長らえて、古希を前にした自分達の生きざまをそれぞれの思いで綴った自分史の発表で、28日14時から広島市役所本館16階の1室で胎内被爆者数人がマスコミ関係者の取材を受けて、少々緊張した一時でした。その反動か今朝は仕事に身が入らない状態。昨夜18時20分ごろからNHKお好みワイドで、以前我が家で取材を受けていた場面が一斉に報道されて、アップの顔のしわ迄くっきり、カメラマンの思いやりが掛けていると独り言、歳相応に、自然に表現したと、自分に言い聞かせる。今、子供も主人もいない私は近い将来の為に箪笥の中に大事に収めていた物を少しづつ、取り出して、後で使って頂きたく、またこの重い心を引き継いでもらいたく、整理している一つの行動の流れです。国会審議の安全保障関連法案は国民大半が違憲だから撤廃すべきだとデモ行進、マスコミ報道と騒がしくなっているのは、1965年安保闘争の延長線上に在るとおもいます。あの当時は学生、有識者、一般人等々大変な騒動でしたが、結局は政府は無理押しして法案成立、今の自衛隊の前身から名前こそ変わった実態から50年経って、今では首相自ら軍隊と称している?あの当時、まだ戦後間もないから難い制約の中で最小限の憲法解釈の安全保障条約が、時代の変化によって、次々と憲法解釈が変わっていく、この先戦争による犠牲者が出ないと確約なんて期待を持てない。政府による我が国を護る政策は、不安と危惧ばかりです。