「平和揺らぐ防衛強化」86歳の投稿記事を読んで

中国新聞朝刊(2019年1月21日)「平和揺らぐ防衛強化」86歳の投稿記事でしたがこの記事を読んで、終戦時13歳の少年だった彼は、戦争体験者としての記憶と、敗戦後の日本の歩みもはっきり脳裏に残って生きてこられた1人として、今の日本政府の過剰な防衛力強化に不安な気持ちを投稿されたのでしょうが、今、日本は戦後誕生した戦争体験者ではない国会議員や、一般社会の声は自衛の為にもっと防衛力を増強したいと言う意見も多くなりつつあるようです。
今後5年間の防衛費は27兆4700億円程度と過去最大となる。さらに攻撃力の強さはこれまで国是とされてきた専守防衛の逸脱の恐れがある。彼は「矛盾」した政策から「矛盾」の語源を思い出し「自分の矛はどんな盾でも破る。と自分の盾はどんな矛でも防ぐ事が出来る」と言った男から発していると、まさに今の政府に対する諫言とも受け取られます。防衛力ははてしない競争に陥る。今後本格的戦争がおきれば勝者はなく敗者だけとなるのは必至だから、対立の根を掘り起こす緊張緩和外交こそが平和維持の要と信じる。と結んでおられます。急激な防衛力強化に隣国の韓国も日本を警戒してか、色々な外交問題を孕んできています。戦後半世紀以上経っても、過っての日本の無謀な戦争が未だに尾を引いている様な不安な将来を想像してしまいます。

自治会主催のトンド祭り

20日、24節季大寒に入りましたが昼間の気温は3月初旬のような、暖かい陽射しが続く毎日です。先の日曜日は例年通り自治会主催のトンド祭りで、子供連れの若い家族や高齢者の参加で、昼過ぎまで賑わいました。この日の為に自治会の人達で、餅つき、ぜんざい、甘酒、等々準備をして、当日はみんなでビール、日本酒のアルコールを振る舞いながら近所に住んでいる人達との交流に一役買って頑張っていました。最近の自治会に関心のない若い人達が越してきますが、中々なじむ機会がないので、自治会に入会する家族も減ってきています。どこの地域でもこの様な減少傾向にあるようですが、自治会主催の日帰り旅行、トンド祭りと言ったイベントを通して、近所の人達と交流出来る町内会の在り方を考えさせられます。

「亥」年の不安

1月4日中国新聞朝刊「災厄なき1年心から祈る」
読んでいくと少し不安を感じました。今年の4月末日を以って「平成」の元号が終わり5月1日より新天皇が即位して元号が改まり、新たな元号元年を迎える日本国固有の時間の変わり目です。そして東アジアに共通する1年の単位が干支(えと)があり、今年2月立春から「己・亥」の年にはいります。昔から「亥」の年には凶事が多い年と言われてきました。実際に312年前江戸時代中期、大地震と富士山宝永大噴火が「亥」年と記帳されています。
1923(大正12)年の関東大震災虎ノ門事件も「亥」年でした。1921年は干支で言えば「辛・酉」に当たり、「辛・酉」は60年に1度廻ってくる革命.の年として過去に何度も改元が行われてきましたが、明治以後からの一世一元の制では天皇が在位を続ける限り同じ元号が続くから、改元すべき年に改元しなかったことが、「亥」年に革命級の災害を招いたと皇室内の声があったようです。1959年昭和34年「亥」年9月26日伊勢湾台風、伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特に甚大で死者5300人以上だったようです。
1995(平成7)年1月阪神・淡路大震災と3月地下鉄サリン事件はいずれも「亥」年に起こっています。今年の正月3日の熊本で震度6弱地震があり、この1年平穏な年で終われば良いと願うばかりです。お隣韓国問題も国際的に日本の立場が正当だと主張して、段々と事が大きくエスカレーとしていき、正月早々国民が不安、不満をもつようになり、穏やかではなくなりました。隣同士の国なのに、市民レベルではお互いに、生活の文化交流をして、仲良くお付き合いをしているのに、政治家の感覚は同じアジア人なのに何処か市民とはかけ離れた、協調性のない危険性を感じます。

平成最後の.新年を迎えて

 2019年平成最後の年明けの所為か、2日、皇居新年参賀の人達が平成最多の15万人超と天皇陛下が新年に当たり、人々から祝賀を受ける在位中最後の一般参賀だったようです。年末4〜5日は日本列島寒波の影響で積雪の被害を心配をしていましたが、正月に入り少し寒波も柔らいで、澄み切った青空の下、皇居での長蛇の列がマスコミで報道されました。私自身この光景を見て感慨深いものを感じましたが、これから先の皇室に対する国民の感情は少しづつ変化していくかも知れない様な気がします。戦後73年経っているにも拘わらず、国際法上解決していると主張しても、海外からの賠償請求を不当に要求されたり、敗戦国家のツケがこれからも次世代の人達に背負わされていくのでしょうか。後四半世紀経ったら戦後100年になります。今人生100年だなんて言われていますが、終戦の年に誕生した私達の年齢が100歳になります、幾らか生存出来て、敗戦国家日本の現状を見届ける事が出来ます。今より、より佳き国家となっている事に期待したいものです。

今年も後一週間

 今年も後1週間になりました。自然災害の多い年でもあり、年初めには北朝鮮問題もあり、アメリトランプ大統領ツイッターで世界が振り回されたり、色々と騒々し1年でしたが、国内では来年度改定される「日本防衛計画の大綱」に護衛艦「いずも」「かが」空母に改修する案を閣議決定したようですが、中国海洋問題を抱えているから、急を要するのか。また、アメリカと北朝鮮との話し合い段階に入っている時でもあるし、あまりにも拙速過ぎのように思います。アメリトランプ大統領との会談で高額な武器を購入せざるを得ない貿易上の問題を抱えている所為か、それにしても、国家予算の中での比率は社会福祉に次ぐ膨大な金額になっています。国の防衛の為の防衛費をはるかに逸脱して居る様に感じるのは私だけでしょうか。いずれは空母艦に攻撃型ミサイルを装備するのはそう遠い日ではないでしょう。今の政権には不安を抱かざるを得ないように想ってしまいます。日本全体では、戦後誕生した若い世代はこのような防衛力強化を望んでいるのでしょうか。自主防衛の為には今の政権の拙速な防衛力強化を支持出来るのでしょうか。先の戦争体験者が少なくなっていく時代と共に、防衛力強化を唱える国民が増えていくのでしょうか。「歴史は繰り替えされる」と、ふっと考えてしまいます。こんな先先物事を不安に感じるのは年の所為でしょうか。

小農宣言

中国新聞朝刊 「国連・小農宣言」家族経営や兼業などの比較的規模の小さな農家の価値や権利を守る、通称「小農宣言」が国連総会の委員会で採択された。
食料や生き物の多様性確保への貢献を認め、小農支援の財源措置などを各国に求めている。この宣言の採択を日本が棄権したのは如何なる理由か?広い耕作地での強い農業化はグローバルな波に打ち勝つ事も大事でしょうが、同時に弱者の支援活動にも力を入れ、日本と同じ様な、いや、もっと狭い国土でハンディを背負った農業に従事している小農国に向けて率先して支援活動は不可能なのか。狭い国土で農業に携わっている日本と同じ様な立場からの目線を配る事は難しいのでしょうか。日本の農家は山に沿って段々畑が至る所に存在して、この棚田が風光明媚だと、観光資源になって、過疎の村人は採算性が無くても頑張っている所もあります。狭い耕作地での消費者と一体になって、安心感ある作物を生産されている若者達もいます。弱者の小さな喜びを摘み取る事無く、支援の対象に考える国策と国連の宣言に先頭の立場を取って欲しいものです。
 紅葉の時期、毎年楽しみにしていた蔵元通りの銀杏並木がなんと、枝葉が切られて僅かに残った枝に綺麗な黄金色になった葉は何ともみすぼらしく、ガッカリしています。落ち葉の清掃が大変だから、紅葉する前に枝を切り落としたらしく、何とも情緒のない呉市の対応には、呆れています。



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サーロー・節子様広島に帰郷

28日18時30分広島平和記念資料館地下メモリアルホールにてサーロー節子さんの講演会があり、会場は座席が足りない程の大勢の人で、高校生から高齢者に至るまでの来場者でした。日本語から距離を置いたカナダでの長い生活の為か、時折日本語で表現されるのに、不自由されている様子でした。86歳の御高齢にも拘わらず、エネルギッシュなハッキリした発言には、周りの環境にぶれることのない信念の深ささを感じました。この度広島市長とお会いされた時に,核兵器廃絶を目指す為に政府にハッキリした対応を提言されたかと尋ねたが、広島市長の返答は、的を得てなかった様で、期待外れだったそうです。広島、長崎市民の声を反映出来ない今の行政にいささかガッカリした様子が見受けられました。2017年ICAN関係者の功績がノーベル平和賞を受賞した事により、世界の核兵器廃絶運動が最高潮のうねりになっていましたが、日本政府の態度は、一環として、核の傘を強固に保持する以外に選択肢はないようで、この温度差は永久に縮まらないのでしょうか。