胎内被爆者の新入会員

平成28年も後1桁残す今日、町中クリスマスカラー一色に彩られています。
町中が活気づくのもまた、小さな幸せを感じる人達も居られるでしょう。
 先日胎内被爆者の方で青森県八戸市にお住いで、広島白島町(爆心地から1.8㌔)で被爆された母親から翌3月28日誕生と言う紹介がありました。胎内にて2か月前後で原爆に遭ったら、所謂小頭症患者の危惧もあったでしょうに、そのお母さんは出産後半年で、この世を去られた様ですが、さぞかし我が子の事が気掛かりで無念だったでしょうね。誕生した彼は子供の時期は病症気味だったそうですが、今はお孫さんもいらっしゃる、良きお爺さんとなられて、この度、胎内被爆者の会に入会された報告を受けました。彼のお母さんは20代前半に、原爆で両足が酷く焼け爛れて、お腹の子の心配と、必死の思いで父親の出世地の青森まで長い汽車の旅に着かれた状況を思い浮かべて、涙があふれんばかりです。そして被爆した事を世間に知られないように、遠い雪国の町で1年足らずで散った花びらのような、儚い人生だったやりきれなさを重たく感じる私です。