戦後70年の沖縄

月替わり1日、この年になると月日の経つのも光陰矢の如しの心境です。
自分なりに「ああもしたい!こうもしたい!」と願望だけは持っていても、中々実行に到達しません。その結果自分自身にがっかりしたり、
失望感、諦めとイライラ症候群の日々が続きます。
<人は只、身の程を知れ、草の葉の露も重きは落ちるものかな>この言葉を口にしていますが中々馴染めません。
 マスコミ報道で沖縄県辺野古埋め立て問題が毎日掲載されていますが
戦後70年経っても、沖縄の人達には、終戦直後の屈辱が未だに拭い切れない様な悲惨な声が聞こえるようです。戦時中、本土上陸戦があった唯一の場所、私が小学校の6年間一緒に机を並べて学んだ人に当時の大田中将の末のご子息が居られましたが、時折「僕の父は戦場でピストルで自害した」と言っていましたが、彼も父親を知らない一人でしたが、父親に誇りを持って育てられたのでしょう。何時も背筋を伸ばして前を見つめている人でした。その後防衛大を卒業されて自衛官になられました。お母様も苦労して戦後を生き抜いて来られ、良く私の家にお見えになって彼の話をしたりして懐かしがっておられました。そんな沖縄を見捨てた様な現状は、首相自ら戦後レジームからの脱却を目指しているのなら、戦後70年間アメリカに隷属的な条約の基地使用を縮小して貰うように外交努力をして貰いたいものです。 今、沖縄の戦後70年の新しい生き方が出来るように、民衆の声を聴いて貰いたいものです。