阪神大震災を振り返って

  1月17日今日で阪神大震災から21年目になります。あの年に誕生した乳児が21歳に成長していきます。刻々と時間の経つのは、早くそして、時には苛酷にも思える事があります。あの日私と主人は年に2回ある商品展示会に名古屋市まで新幹線で出張する予定でした。朝5時40分過ぎに(ドッスン)と言う大きな音と同時に揺れが酷く、ビルの3階が自宅だったから、とっさに危険を感じました。ニュース報道は、中々当時の状況がつかめず、JR駅に行っても列車は不通になって、混雑しているから主人は出張を取りやめ、私だけハッキリした情報もないままに広島空港から東京羽田に行き、東京駅から新幹線に乗り名古屋駅迄とっさに行動した記憶があります。やはり展示会場は閑散としていましたが、日本国中から出店しているメーカーの人達も、その年の新作発表や商談を期待しての展示会を閉館するわけにもいかず、3日間続けられるました。そして私も無事広島空港から帰宅出来ました。その間ありとあらゆるマスコミ報道で神戸長田区の大火災と倒壊した家屋の下敷きで多くの尊い命が消えていった様子を目にしました。両親を失った孤児、1人になった老人、其々の悲劇の始まりでした。 不幸な人生を体験されて、其の内の何人が逞しく立ち直る事が出来たでしょうか。、町の復興と相反して其の侭、孤独死された方達が随分おられるようですが、いつの日も光と影に左右されて、人生を終わる人を誰が決めるのでしょうか。神だけが知っているのでしょうか。自然界の倫理が地球の全てを左右している様で、人間の如何なる科学の発達よりも自然界の倫理の方が優越している様にまじまじと実感させられます。こんな地震大国に、沢山な原子炉が立ち並んでいますが、政府が常々口にする、国民の安全を前もって保障する政策を立てるのが政府の役目であり、如何なる危険が生じても、無事に国民を護る事を想定して対処している。なんて言って、原子炉の危険性をあらゆる角度から想定して国民を護るより、危険性の方がはるかに大きく感じるのに、原子炉施設をこれ以上再稼働して大丈夫なのでしょうか。使用済み核燃料再利用施設も不十分なままで稼働施設も決まらないのに矛盾だらけに思います。次の世代の人達も、資源の少ない地震列島日本の現状を真剣に考えて欲しいです。
『人は只、身の程を知れ、草の葉の露も重きは 落ちるものかな』