平和と自由を愛し続けた荒凡夫

平昌冬季オリンピックもいよいよ最終日に押し迫りました。現在日本のメダルは11個と最高の数だそうですが、10代の選手の活躍ぶりには、目を瞠る思いです。将棋の世界と併せて時代の流れと言うか、ベテラン選手より卓越した、精神力、体力、基礎知識、鍛えられた才能等々、若さ故の恐れを知らないストレートな挑戦力が彼等の競技意識を向上させている様に感じました。平昌オリンピック開催までは北朝鮮問題で、政治的思惑をはらんで一時はどうなるのかと、不安を感じる事もありましたが、無事スポーツの祭典を閉幕に導く事ができそうです。こんな折、2018年2月20日『自由を愛した荒凡夫・金子兜太さん死去』と報じられました。太平洋戦争時に海軍主計中尉としてミクロネシア・トラック島での悲惨な体験から『水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る』と島で共に戦った戦死者、終戦後に島で生き永らえても食料もなく餓死した戦友達の遺骨を置き去りにして1946年引き上げの折に船上で島を振り返りながら詠われた句だそうですが、この忌まわしい体験から戦後日本銀行に勤務する傍ら生涯を反戦と、自由を愛する句を詠い続けられた人生に惜しい終止符がつきました。広島の句『原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む』長崎の坂道を下って来るマラソンの一団を目にして『湾曲し火傷し爆心地のマラソン』戦後70年を迎えた平成27年から「平和の俳句」の選者を3年間勤められました。平和な世だからこそ、スポーツの祭典を世界中で競演出来ると喜ぶ半面、自分の若き日の虚しく散っていった若者の生き様を照らし合わせて、常に心の痛みを持ち続けられた半生だった様に思います。溝浦様から送られてきたメールを参考にしました。