狂った梅雨の猛威

今年、前半の梅雨は全国的に空梅雨の様な降雨量が少なく、ダム貯水量を心配して居たのに、やはりゲリラ豪雨に日本列島大変な事態に陥っています。東北地方の豪雨被害が報じたられたかと思ったら、数日後には、福岡県北部朝倉市東峰村大分県日田市の豪雨被害で死者、行方不明者10数人と、地盤の弱い山間の集落の人達が、濁流を目の前に避難された様子は、痛々しい気持ちになり、自然破壊の恐怖は、科学の進歩にも到底太刀打ちできない、諦めの境地、虚無感だけが残ります。古代の人達が、山の神様に手を合わせて、助けを求めた気持ちになります。
 先日、友人から本をお借りしました。高瀬毅著作「消えたもう一つのナガサキ原爆ドーム」私なりに、同じ様に、原爆を投下された都市なのに、広島原爆ドーム世界遺産になっているし、海外からの平和運動の響きも長崎に比べると、若干の差を感じていましたが、それは、2番目に原爆投下された所為かしら。と心の中で密かに思っていました。筋肉隆々とした 長崎平和記念像は青銅製、彫刻家(故・北村 西望)1955年完成。 天に向けた右手が「原爆の脅威」を水平に伸びた左手が「平和」を表しており、まぶたを閉じて犠牲者を悼んでいる。この戦後建てられたこの像が、原爆で廃墟になった広島原爆ドームの様な、原爆遺跡を取り除いた経緯が解る程度に書かれた内容。敗戦国家当時の田川市長、浦上天主堂の、山口司教を中心に行動されて、アメリカ合衆国から多大な寄付金を集めて、新しい天主堂が建てられた。長崎市民の宗教的感情の中に永井隆の『神の御摂理』と言う声・・・。一番の被害者は誰でもない、境目のない平等な人間なのに、永遠に犠牲者は浮かばれない、虚しさを覚えました。