原爆被爆者平和運動家先駆者の死

今日の中国新聞朝刊記事から元、長崎大学学長土山秀夫氏92歳死去
彼は入市被爆者で反核平和運動の中心的存在だった。1945年8月9日原爆投下された長崎へ翌日入市、当時は旧長崎医科大学付属医学専門部の学生で、負傷者の救護に奔走され、後に、国内外の非政府組織(NGO)による国際会議、「核兵器廃絶」「地球市民集会ナガサキ」の実行委員長として、長崎の核廃絶平和運動において、理論的支柱の役割をはたされた。長崎市の平和記念式典で市長が読み上げる平和宣言文の起草委員会委員を20年以上務め、山田洋二監督の映画「母と暮らせば」(2015年公開)では主人公のモデルとなった。8月30日に長崎原爆被災者協議会長の谷口稜曄氏が永眠されたばかりなのに、続いて平和運動の先駆者たちが他界される記事は、寂しさと同時に刻々と流れる時間の速さが、口惜しく感じられます。