何故?<日本被団協が受賞されなかったのか>

10月に入ってこの3日間昼間の気温が夏日の様に上がり、冬着の支度に踏み切れません。夜は肌寒いから、やっと冬用の大布団を出した途端に、夜半の蒸し暑さに、大布団を折り込んで足枕にして寝ています。そんな収穫の秋真っ只中、呉の秋祭りも今、方々のお宮で催されています。今年のノーベル文学賞、平和賞と立て続けに「日本となにがしか、縁がある」発表だったから、少し浮いた気分になっていましたが、ふっと私なりに、ノーベル平和賞は「何故、日本の被団協他、核兵器廃絶運動に携わっている団体ではなかったのか?根本は被爆者の長年の努力から、世界各国に核兵器廃絶運動まで拡大したのに何故?」何故<ICAN>なのだろうか?余計な不満が、少し心の底に溜まっています。ある大国が「第2次世界対戦の犠牲者は日本だけではない。日本のアジア諸国に与えた負の遺産は未だ未解決だ」そんな世界の声が反映した様にも思えます。考え過ぎかしら?戦争がもたらした負の遺産は100年経っても、勝敗した国民に代々口伝えで消える事はないと言う事をしっかり心に刻まなければならないし、勝敗以前に、地球環境が破壊されて、その事によって住みにくい国土が出来ると言う事を更に自覚しないといけないと思います。