原爆被爆者のノーベル平和賞受賞式参加に想う事

師走の慌ただしさを感じながら、身の回り品を片付けていると、断捨離をする歳に不足はないと棄てかかったのだけど、また、捨てるのは何時でも出来ると思い返して、自分一人でくすっと笑い、元の状態に落ち着く。ノルウェーオスロでのノーベル平和賞授賞式に広島、長崎の被爆者達が、長年の苦難を秘めての参加に感慨深いものを感じます。過っての大勢の戦争犠牲者でもあるけれど、非人道的核兵器の原爆被害者が、戦後の世間的な冷たさに耐えながら、今日まで生き長らえてきて、「次世代の人達には二度と原爆被害に遭わせてはならない」と世界中に必至の呼び掛けで功を奏した結果ですが、核保有国、核の傘に恩恵を得ている国々のノルウェー大使館の大使はこのノーベル平和賞受賞式に欠席の様です。国の安全保障上核を持ち続けて、お互いの威嚇作用には効果があるでしょうが、ただ偶発的に核使用が起こるとも限らない。その時は、人類だけでなく地球規模の破壊を予想以上にはらんでいます。人類の江籠に依って、将来次世代に大きな負の遺産を残す結果にならねば良いのですが。