旧陸軍広島被服廠を訪れて

14日胎内被爆者10数名で旭町にある過っての広島陸軍被服廠に行き、
88歳になられた被爆体験証言者の中西巌様から当時の体験を聞きました。彼は昭和20年時15歳の中学生で、所謂学徒動員として、学業は全くなく、空腹を抱えながら荷役作業の毎日だったそうです。8月6日は荷役運搬用の木炭トラックのエンジンが始動せず、代りの馬車が来るのまで、煉瓦造りの倉庫の鉄の扉の前で待機していた時に、突然目の前に閃光が走りあっという間に舞い上がり、数メートル先の地面に叩きつられて数分後に気が付き、顔に手をやり、手足身体を触っても異常がない自分に驚きと安堵を覚えたそうですが、同級生らが多数負傷して、建物は半壊し、外は混乱状態だったそうです。幸い窓に硝子が無い構造だったから、鉄の扉が多少湾曲した程度だったそうです。あれから73年経ちますが、当時の面影を残して、原爆の事実が時の流れに沿って風化してく中を、老いた身体で身を守っている様な、切なさを感じました。安全性確保のために倉庫の中には入れなかったけれど、中西様は当時の霊が残っている様で土足では入れないとしみじみ語られました。彼の現在のお住まいが呉市安浦町で、今年7月西日本豪雨被害に遭われ、家屋が浸水し、体調も悪く、大変な夏だったようで、もう88歳だしこれを契機に被爆体験証言のボランティア活動は止める積りだったそうですが、もう少し頑張ろうと思うと、やっと元気が出てきたと最後に語られていました。